Login

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


やっとこさ、4大聖堂制覇!

先日、Yahooにイタリアのニュースが載っていました。
イタリアで「若者の親離れ強制法」なるものを主張した議員がいて、波紋が広がっているとのこと。
この法律、18歳からの強制的別居を促すものだそうです。

それを示す例として母親と同居して生活費、食事の準備など世話をしてもらっている、
41歳のイタリア女性が紹介されていました。
え~っと・・・・41歳は、若者ではありませんよー

普通だったら親を養わなくちゃいけないのにねぇ。相変わらずですね、イタリア。
失業率が高いし、イタリアって、ほかの欧州国より給料が安いから、
経済面で多少しかたないとは言っても、掃除、洗濯、食事とか手伝えばいいのに。
というか、しつけはどうなってるんだ。
親が子に今までやらせてこなかったツケだろうが。こういう面では、イタリアって子供に甘いのよね。
できれば、中年イタリア男とマンマのドン引くような状況を例に出してほしかったわ~。


モザイク
 ところで、コズマーティ様式(※1)のモザイクの柱廊に、

 (←写真をクリックすると、大きなサイズでご覧いただけます)

 ※1 12-13世紀にローマで栄えた、華やかな色の三角や四角を組合わせたモザイク
    ビザンチン様式(※2)の影響を受けているといわれている。

 ※2 395年のローマ帝国の分裂で、ギリシャなど地中海東側で栄えた
    東ローマ帝国の建築・装飾・家具の様式。
    装飾で言えば、象嵌(ぞうがん)や彫刻で飾られるのが特徴。
    


美しい中庭つきの回廊(キオストロChiostro)
回廊(キオストロ)

といえば、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂と思ったあなた、
今回は、ちゃいまっせ~
ファサードと像
(写真をクリックすると↑、大きなサイズでご覧いただけます)
サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂
でございます。

ラテラーノと思った方、それも当然。
だって、ラテラーノの回廊も、この回廊も、ヴァサレット親子が作ったものだから。

そして、真ん中に立っているのが、聖パオロさん。
スターウォーズの人じゃないです(剣を持ってるし、服が似てるけど)。

わたしね、ここを一番最初に見たかったのにさ、アホやから、別の入り口から入っちゃって、
中をぜーんぶ見て、一番最後、帰る直前に、ここをみつけたという・・・・・がはは。



また寒いけど、風邪ひかないようにね~
人気ブログランキングへ


さて、ここは、聖年(※1)にのみ開く聖なる扉を持つ、四大聖堂(バシリカ)のひとつで(※2)、
ローマの歴史地区とともに、ユネスコ世界遺産に登録されています。
(※1 聖年に関してはこちらをご覧ください→聖年   ※2 四大聖堂に関してはこちらをご覧ください→四大聖堂

ほかの大聖堂同様、教皇庁直轄領(大使館のように治外法権があるってことね)ですが、
この聖堂のみ城壁の外側に建っています。

ズバリ!名前のとおりなんですわ。
サン(聖)・パオロ(聖人の名前)・フォーリ(外側)・レ(冠詞)・ムーラ(城壁)大聖堂

実はね、わたし、今回で4大聖堂制覇!なんです。なのですっごくウレシかった
ほかの3つには何度か行ったけど、ここだけは、来る機会がなかったんですよね。

あ、そうそう、バシリカってね、ローマ帝国のときの大きなホールなどの公共の建物のことなんですよ。
教会の聖堂もそういう、人が集まるものの一つで、いつの間にか、教会のことを「バシリカ」と
呼ぶようになったそうです。

一方、建物としてみたり、組織(宗徒一同)とみる時はキエーザ、すなわち教会と使うようです。
また小規模の教会のときも、もちろんこのキエーザ。

話がそれちゃいましたね・・・

はい、聖パオロの墓。
サン・パオロの墓
信者の方に申し訳ないので、めーっちゃ望遠で、こそっと撮りました。
あとで、お祈りをしに行ったら、本当にお墓がありました。
アミアミの前にガラス張りで見えるようになっています。
床下にあるとはいえ、聖人を足蹴にするわけにはいかないので、赤いロープで囲ってあります。

よく、言い伝えが残っているのみ、ということがありますが、
ここは実際に発掘調査で、その当時のお墓であると証明されたそうです。

サン・パオロの鎖
この鎖は何かわからなかったんだけど、たぶん聖パオロが殉教するときに縛られていた鎖では
ないかと。(サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の聖遺物の鎖と同じパターンだったら)


パオロさん、もともとユダヤ教だったのよね。お告げからキリスト教徒に回心したの。
ユダヤ教徒はキリスト教徒を迫害してて、パオロさんは迫害される側に回って殉教しました。
なんで、迫害されることがわかってたのに、お告げとはいえ、回教したのか、あとで聖書を読んでみようっと。
前に聞いたはずなのに、すっかり忘れておりまする。

彼は、トレ・フォンターネ修道院のところで、斬首されましたが、遺体は、城壁外のここに
埋葬されたんだそうです。

祭壇と天蓋
 (←写真をクリックすると、大きなサイズでご覧いただけます)

  これが、祭壇とそれを覆う天蓋です。
  1285年にアルノルフォ・ディ・カンビオが作成した
  ゴシック様式の天蓋。
 
  ここは、1823年の大火災でほとんど焼失しているのですが、
  先にありました回廊部分と、この天蓋は、
  作成当時のオリジナルのままのものだそうです。


宗教に関わることは、あまり書かないほうがいいんでしょうけど・・・・・

私の通った幼稚園がカトリック系で、日曜学校やミサ(らしきもの)もありましたし、
なんといっても園長先生やシスターの教えに学ぶことが多く、
卒園後もお付き合いがあったせいか、少なからず影響をうけました。
両親が仏教徒でしたが、おばの一人がカトリック信者だったのもあるかもしれません。

ローマ帝国時代は、30ほどの多神教でしたが、一神教になったイタリア。
ただ一つの神の前でのみ、皆が平等というところには、若干違和感がありますが、
(ネイティブインディアンや仏教のように、自然にも神があり、自分以外のすべてを敬う気持ちや
沖縄のように先祖崇拝のほうが、私はなじめるんですよね。)
教会に行くと、懐かしい感覚が沸いてきて、(荘厳さを感じるというよりも)落ち着きます。

ということで、キリスト教徒ではないけれど、
四大聖堂すべてをきちんと見て、お祈りできたことは、とてもうれしかったです。



明日もよい日を!
人気ブログランキングへ
関連記事
スポンサーサイト

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://delfinoitalia.blog89.fc2.com/tb.php/443-7e4ef5dc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。