明日お墓参りにいってきま〜す。ってしょっぱなから墓の話ですいません。
今日は万聖節Ognissanti (おっ兄〜さんち?)の日でございます。
全聖人に祈りを捧げる日です。
※はじめ、Ogni Santiと書いていましたが間違いです。ごめんなさ〜い。がっちゃんさん、教えてくれてどうもありがとう!
翌、11月2日は死者の日Festa dei Mortiで、
死者の魂のために祈りを捧げる日です。
亡くなった方を弔う日本でいうお盆とかお彼岸みたいなイメージで、お墓参りをします。
かなり親しい付き合いをしていたDel母のいとこが
カトリック教徒でして、
まぁ、キリスト教徒とは思えないくらい、激しくはっきりした性格だったんですが
(イタリア人もそうだから、キリスト教徒が皆穏やかな性格ではないわね。)
去年彼女が亡くなったので、行ってまいりまする。
「粗仏(仏って言わないか)のうちは毎月行ってあげなくっちゃね」ってDel母言ってます。
彼女の息子の英語の宿題を私がやったこともあったなぁ〜、がはは。
とっても正直な人で、私の大好きなおばちゃまでね、もう、面白ネタが満載だったの。
彼女の行くところ、事件は起こるみたいな。まだ50代だったから早すぎたわ。
亡くなった今でも親戚の中でよく話題に出るオモシロおばちゃまです。
さて、今年の夏のイタリア旅行で、友人Mちゃんと
チェーン店じゃない店にしては、ちょっと大きめのお店で服を物色していました。
夏のセールをやってたの。
Mちゃんが試着中、おいらはセール品をチェック、チェーック
すると、とあるイタリア人のシニョーラが、
「すみません」と声をかけてきた。
「はい?」と答えたら
日本で5000円しそうな服が600−1500円でした。
↓セールばんざ〜い
「これの、46はありますか?」
だって〜



にゃはははは〜
私、店員に間違えられたよぉ「
・・・・・?」 私の顔をみて、相手も気づいたみたい。「あら、私間違えちゃった?」っていうんで
「えぇ、私、店員じゃないですよ〜
」って。おもしろーい
イタリア人。私、かばんも持ってたんだけどなぁ。私が大きすぎて見えなかった?お店の人っぽかった???
着替えて出てきたMちゃんに報告したら
「ありえな〜い
Delちゃん、いったい何人?!」って爆笑してました。別にね、私がイタリア人に思われたわけじゃないのよ。どう見たってアジア人だし。
イタリアに行った日本人の方が、自分はどう見ても外人なのに、道を聞かれたって
書いてあるのをチラホラみますが、
はい、イタリア人は、聞く相手が、人間なら、い〜んです。
普通に考えると、(見た目)言葉の通じそうな人に聞くと思うんですが、
イタリア人は、近くにいる人に聞く。
日本人だったら、店の中で、見るからに外国人って言う人に、サイズ聞かないよなぁ。
まぁ、日本では外国人の服屋の店員って見ませんけど。
発想が自由だなぁ、イタリア人。固定観念がないっていうのか。
今回のは、おもしろかったわぁ〜
この日は、これで笑って、心が潤いました

↓ぱひ



















この記事に対するコメント
わかるわかる〜
「イタリア人は、聞く相手が、人間なら、い〜んです。」
もう笑っちゃったよぉ〜
そうそう、平気で道聞いてくるよねぇ〜
つまりこの人たちって、なーーーにも考えてないのかな?
って思うこともありますです。
あとね、「カトリックだから」って言うのは、たぶん日本人的な
発想っていうか、一種の憧れっていうか、そうあってほしい
と言う願いなんじゃないかと思います。
カトリックの国こそ、昔から戦争しているしね。
中世のカトリックの堕落は酷くてそれがもとで
ピューリタンが生まれたわけだし、仏教がいいとか、
イスラム教がいいとか、そういうのはないと思います。
どっちかと言うとやっぱり教育なんじゃないかしら。
それにしても、いつも思うのが、
諸聖人の日(万聖節)のイタリア語Ognissanti
を聞くたび、オンニッサンティと言う音の響きに
笑ってしまうのは私だけでしょうか・・・
◎がっちゃんさんへ◎
がっちゃんさ〜ん、単語間違っているの教えてくださって(しかもさりげなく)どうもありがとう
ずっとOgni Santiだと思ってました。記事の中の単語も直しました〜☆
なるほど、そうかも〜。日本にいるカトリック教徒のイメージをカトリックの本家に求めていたかも。
そうそう!カトリックは、殺しの宗教だったから本来激しいですよね。
宗教戦争なんていうのもあったし。
同感です。宗教に優劣はないと思います。
そもそも宗教と信仰というのは、同じように見えるけど全く別のものだし。
キリスト教とイスラム教は、もともとゾロアスター教から分裂した根っこは同じものなのに、争ってますよね。
カトリックの幼稚園に通って、とてもいい影響を与えてくれたけれど、でも、彼らのような一神教は、その神の前でだけ、人はみな平等で、それ以外のものは排除したり、認めなかったりってしてることに違和感があります。
それと比べたらネイティブ・インディアンは自然の中にも神を認め、共存してきたし、日本も八百万の神を崇めていて、(ずっと穏やかだったとはいわないけれど)仏教のほうが、キリスト教やイスラム教よりも、違うことを認め、それらと共存する調和の精神があると思います。