いやー、昨日は同僚と食事に行って、すっかり飲みすぎました。顔が腫れております。
せっかくやせた2キロも、一瞬で戻りました
また5キロからやり直しか。。。
さ、まいりましょう、(Civita di Bagnoregio)
チヴィタ・ディ・バーニョレッジョの旅
バーニョレッジョでバスを降りてひたすらまっすぐ行ってチヴィタの直前に、
「右に行くとチヴィタ」(Via mercatello)という看板が現れます(前回の記事→ちびった、ビビッタ
詳細は、チビタ旅行最後の記事を参照ください)
右に曲がってひたすら坂を下りていくと(ということは帰りはずっと上り・・・)
おぉーっと見えてきた!
チヴィタ・ディ・バーニョレッジョでございます。
この町、まさに陸の孤島でございます。ほら。
この町に入るのに、300メートルほどの橋をわたります。
町への出入りの唯一の手段でございます。
町の入り口までまいりますとこんな感じ。
すごくはっきりと断層が見えていますね。
6世紀には、すでに町があったというこのあたり。
この地域の土は、凝灰岩(火山の噴火でできます)で風や水の浸食の影響を受けやすい地盤です。
名前にBagno(風呂)とありますように、周囲は温泉が湧き出る火山地帯だそうです。
近くに川と湖があるので、ゆっくりと、しかし確実に、地盤を変形させていきました。
その年月約1000年
ひー!すごいねぇ。
それから、大きくこの街の形を変えさせたのが、ラクイラに起きたような、地震。
最初の大地震は1349年だそうです。
ところで、この土地は、「ローマと」か「ミラノ」と比べてやたらに名前が長いですが、
もともと、このあたりはバーノレッジョという名前の地域で、その中のチヴィタという場所ってことで
「バーニョレッジョのチヴィタ」という意味のCivita di bagnoregioとなっています。
Civitasというのが領土という意味なので、バーニョレッジョの領土というのが本当の意味かも。
1695年には、かなり大きな地震がおきて、住民はバーニョレッジョの町に移住。
1944年の戦争中には、チヴィタとバーニョレッジョをつないでいる唯一の橋をドイツ軍に破壊されたりもしました。
地震や戦争などで何度も崩壊した橋。
その度に繰り返し新しく建設され、セメントで作られた橋は、現在も使用されています。
では、比較してみましょう。

はい、左が今から135年前の1874年の写真。道が険しく危ない感じがしますね。
しかし、100年以上たっても見た目が変わっていないってすごいねぇ。
日本だったら、かなり変化があると思うわ。
後半は写真でご紹介していきます。
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町まで、わずか300M。といったって、

こーんな急な坂。
しかも、こんなにも(左)、こ〜んなにも(右)長い。
ローマで毎日歩いておいて本当によかった。
日本だと車を使うことが多いので、日本から来たばかりだったら、かなりやばかった。

坂を上りきって、町の入り口につくと、
聖マリアの門(La porta di Santa Maria)が迎えてくれます。

ここからの景色は、行って見ていただいくことにして。
町の中に入ると、小道に並ぶ家々の窓辺に花が咲いていたり、みやげ物屋があったり。
とにかく町が静か。
10月に行ったっていうのもあるんでしょうけど、観光客もまばらでした。
しかも住民が外にいなーい。
町を歩いているのはほとんど観光客なんじゃないのか?って感じでした。
住んでいる人が20人足らずなので、当然といえば当然ですが。
ずっと進むと小さな広場があってそこに、
サン・ドナート教会(Chiesa di S. Donato)があります。

この教会は16世紀のもので、外見からおわかりになるかと思いますが、中も非常に簡素。
木製の十字架があり、イタリアの画家ペルジーノ派のフレスコ画があります。
内装は修復中のところもありましたが、全体的に修復されないまま放置されているといった印象。
あと、名前を見るのを忘れましたが、ガラスケースに横たわった女性が祭られていました。
そして、教会の横にはお決まりの鐘楼。
また、その教会の斜め前には”Civita B&B”という宿が(右の建物)あります。
この建物は1400年代もの。一度泊まってみるのもいいかもしれませんね。

ここね、シングルで40-45ユーロ
トイレなし40ユーロ、トイレつき45ユーロ。じゃあ、絶対45のほうがいいやーん。
一階には、Antica & Fornoというトラットリアもあります。
私は、ここで食事はしなかったので、味のほどはわかりません。
店のメニューや食べている人を見て入るかどうか決めてくださいね。
この町は、周りで、オリーブ(オイル)と白ワインを作っているので、この二つはおいしいと思います。

ここには天敵はいないのか、広場にネコが何匹かおり、ずいぶん人慣れしてました。
ここは、度重なる地震による住民の流出で、老人ばかりが残った町。
住民がいなくなると、空き家が増え、荒廃していくばかり。
それで、死にゆく町(il paese che muoreとかLa citta che muore)と呼ばれるように。
なんつー不吉な名前つけとんねんって思うけど、
そのすごい名前のせいか、最近は、観光客も増えてきたようです。
ワタクシがいったときは、でっかいアメリカ人のおばちゃまたちがきていて、
「あ〜、この坂きっついわぁ」って言ってました。
おばちゃんたちは、ここに一晩泊まっていくっていってました。
泊まったあとだったら、いろいろ聞けたのになぁ。残念。

ワタクシ、置物などの土産は、
全く興味がないので、
後で迎えに来るねと
店に友達をおいて(笑)
町の裏側のほうまで
歩いてみました。
な〜んにもなかった
けど、やっぱり
坂
でした。
町の端に到着。みて、みて、この絶壁。こわ〜。

町は、小一時間もあれば町の端まで十分に歩けると思います。
次回は、炭火で焼いたパンに自家製のオリーブをかけて味見をさせてくれるお店と、
そこの店主のお話を。
<つづき>
チヴィタの特産品
どっちかというと次のほうがメインかなぁ
だって、ワタクシ食い意地張ってるんだもん。
ぽち〜↓



















この記事に対するコメント
超偶然!!
このサイト見てみて〜
Ecco gia` fatto♪ごはんできましたよ
http://healthyrecipes.blog56.fc2.com/blog-date-20090508.html
全く偶然にチビタ・ディ・バーニョレジョについて書いていらっしゃるのよ。
思わず両方のトラックバックを勝手に張りたくなったわ。
それにしてもDelfinoさんは自力で行ったのよね。
こういう場所って地元に住む友人に車で連れて行ってもらうって方法が多いでしょう?
日本でも田舎の場合そうだけど。
だからこそ、こうやって自力でいけるんだ。って解ったからには私も断然行きたくなっちゃったわ。
次回行ってみようかしら・・・
◎がっちゃんさんへ◎
わぁ〜、本当だぁ。同じときに同じネタを。
こんなこともあるんですねぇ。
うんうん、ぜひ行っていただきたい♪がっちゃんさんだったら、余裕ですよ〜。
時間を前もって調べておけば、ちっとも大変じゃなかったです。
バスで一本だし。
もう少しこの町のことを書いたら最後に、交通情報をまとめておこうかと思っています。
私はオルヴィエートから行ったんですけど、ヴィテルボやモンテフィアスコーネからもバスが出てるんですって。