ワタクシは、子供のころから本が大好きです。
小学校一年生のときに、初めて誕生日プレゼントを親からもらったんだけど、
本でした。
もち自分のリクエスト。
今でもおいてあるよ。人物日本の歴史っていう本で、「卑弥呼と古代の人々」ってやつ。
あの頃(まぁ、今もだけど)、遺跡とか古代の物語とか大好きだったもんねぇ。
ギリシャ神話、日本昔話、イソップなどなど、大好きでした。
幼稚園の図書室のアンパンマンの本を今でもよく覚えています。
だって、顔よー、顔を人にあげちゃうなんて、なんとインパクトのあること!
本といえば、結構時間がたってしまいましたが、先日、芥川賞の発表がありましたね。
中国出身の楊逸さんが受賞されました。
中国人(漢族も朝鮮族も)と一緒に働いたり、出張時の現地でのこと、
日本の中国への援助に対する中国人の反応、中国政府の政策や、戦争に関することなどなど、
中国人にはたくさん言いたいことがありますが、ここではそういうのではなく、
この方、個人について。
親戚がいたから という理由で日本にやってきて20年ほど。
来日後にゼロから学んだ日本語での受賞。すばらしいですね。
それを母国語とする人のようには書けないとしても、その国の言語で書いたというのがすごい。
ちょっと古いけど、日本人でも「Polite Lies (日本の題名:悲しい嘘)」という本を
キョウコ・モリさんが英語で書いて、部谷真奈実さんが翻訳しています。
これより更に古いけど、「武士の娘」という本を明治生まれの杉本鉞子(えつこ)さんが英語で。
これもまた、日本人の大岩美代さんが訳しています。
それから、
ハンガリー出身の作家で、ワタクシ、この人のは本を所有してなくて、名前を忘れちゃったんだけど、
難民として、たまたまスイスに定住することになって、
そこでフランス語を覚えたという人がいました。
この人が次のように書いていたのが印象的でした。
「どこにいようと、どんな言語であろうと、私はものを書いただろう」
そうだよねー、やっぱり中身なんだよねぇ。
話す中身を持ってない人は、いろんな意味で話せないんだよねぇ。
言葉を並べているだけで、伝えるべきことがないっていう人いるよね。
ワタクシもそういうこと気に留めようと思いました。
この中国の方と、ハンガリーの方のことを思うと、
ワタクシ、好きな言語を学べることができて、幸せだなぁって思いました。
ただそこに来たからという理由や、その言語を強制的に覚えさせられての習得ではないことに感謝。
英語を勉強したくて、英会話学校には行けなかったけど、
ラジオや、TV、映画、テキストで勉強できた。イタリア語も、ラジオと同僚で勉強できた。
やりたいことが出来るって、なんて幸せなんでしょう。
そりゃ、完璧のほうがいいにこしたことはないけど、完璧でなくてもできるんだね。
なんだか、嬉しい。
英語もイタリア語もまだまだのワタクシにとっては、非常に安堵というか、心強く思いました。
もうちょっと、がんばってみようかなぁ。
今日も読んでくれてありがとう





















この記事に対するコメント
ご無沙汰しちゃいました。
この前の記事も、この前の前の記事も色々書きたかったけれど、ちょっとバタバタしてたので、ブログランキングのクリックだけになっちゃってました。
そう、語学って終わりがないから、たまにいつになったらこのニュアンスを理解できるようになるんだろう・・・
って思うんですけれどね。
でも、自分の好きなことを勉強できる。って幸せだと思います。
世界の中には、まだまだ外国語はおろか、その国で発行されている書物自体に検閲がある国だってあるだろうし、色々な意味で制限がある中で、日本では、自分の努力や意志でどうにかできるんだから、やっぱり幸せだと思います。
また勉強するための書籍なんかもたくさんあるしね。
私がイタリア語を習い始めたときは今よりずっとテキストが少なかったけれど、その分、それこそbaciチョコについてた、詩ですら、必死になって集めて読んだものです。
もっとがんばろうって思いました。
❏がっちゃんさんへ❑
イエイエ、とんでもない。お出かけされていたのに、こんなに早く読みに来てくださってどうもありがとう
がっちゃんさんの読んで、思い出してしまった。。。取引先の専務さんがくれたイタリア語のCD・・・・。
戸棚の奥においてあるぅ〜。聞かなくっちゃ。
がっちゃんさん、すごいなぁ。そういう時にイタリア語勉強されたんですね。その思い、尊敬します。
日本もまだまだ平等でないところや精神的な感覚が時代錯誤なところがあったりするけれど、それでも毎日が生きるか死ぬかの状態ではない(戦争や飢餓もない)というのはラッキーですよね。
教育を十分に受けられることはかなりいい国だと思います。