先日、久しぶりに大好きなタイ料理を食べに行って、大満足のDelfinoです。
パクチー(中国語で言う香菜、英語で言うコリアンダー)大好きなんです
ワタクシ。ぐふ。
さて、前回、「あらイタリアさん、あなた本当はこうだったのね」ってこと書いたのですが、
やっぱりもう忘れちゃってますね。
イタリア人と一緒に働くようになったその年に、書き留めておくべきだった。
ま、いっか。
ワタクシね、個人的になんですけど、
イタリア人
とのほうが、アメリカ人
より相性がいいような気がするんです・・・・
まさかこんなことを思うようになるとは今から、うん十年前は考えもしなかったわぁ。
最初ね、日本政府の陰謀か、ワタクシ、アメリカの影響を強く受けまして、
アメリカ大好きだったんですよ。
歌、舞台、芸能人、政治。イギリス
よりカナダ
より、アメリカ
あ、その後、カナダが大好きになったんですけれども。
で、ワタクシが中学生
のころって今みたいにネット環境がありませんでしたから、
ペンパルっちゅーもので、英語のやり取りをしてみたんです。
そのときの数人や、学生のときに日本語を教えていたときの北米の生徒や、
大学のサークルにいたアメリカ人の人たちを見ているとね、
何においても大味
って感じで・・・・。最初は楽しいんだけど、だんだん違和感を感じるようになりまして。
考え方とか態度がね。
社会人になって、取引した幾つかの国の方や同僚と接するなかで、イタリア人に対して
「あ、日本と(私と、かもしれない)似てるっ!」
って思ったことが何度かありまして。
なんだったかなぁ、ちょっと待ってね、思い出すから。。。。
対して大きな問題じゃなかったときは、とりあえずごめんねって言っとけ〜という態度
(肝心なときは絶対謝らないですけど)
何かの拍子にいうときの言葉の使い方(忘れたけど、これにはおぉっ!って思ったんだよねぇ)
色を表す単語が多い
日本も昔使用していた和名での場合、たくさんありましたよね。
同じ赤でも、紅色、紅赤、とき色、つつじ色、紅梅色、紅樺色、鉛丹色等、まだまだ沢山ありました。
家族や地域住民とのつながりと旬の食材を大切にするところ
これは日本は過去の物になりつつありますが・・・・
それでも、沖縄は今でも先祖崇拝が深いですし、隣人や親族との絆が非常に強い地域が他にもあります。
最近、年中手に入って、食べものに季節感がありませんが、昔は、この時期はこの魚が取れるから
○○をつくる、とか、今の時期なら、らっきょうや梅をつけるとか、そういう旬の食材を生かす慣習が
生活に組み込まれていました。
単語の成り立ちで似ているものがある
(英語を第一外国語として習ってきた日本人としてということでね)
たとえば、英語なら、タオル(Towel)ですが、イタリア語はAsciugamano
Asciugare(拭く、ぬぐう、乾かす)+Mano(手)
日本語は?「手ぬぐい」
ねっ!単語の構成が同じでしょう
なーんか他にもあったんだけど・・・・うふ、また思い出したら書きます。
こういうね、文字構成が似ているところって、結構似ているところが多いような気がするんですよ。
ちなみに、ワタクシが、イタリア人から学んだこと
完璧じゃなくてもいいということ
日本社会は、
・一生懸命やる
・ベストを尽くす
・目標に向かって最後までやり抜く
ってのが評価されるじゃない?
で、無理をしちゃったり、ストレスたまったりで体を壊したり(え?ワタクシ?)するわけです。
もちろん、一生懸命やるのはいいことなんですよ。
でも、常に一番(完璧)ばかりを狙う必要はないということを学びました。
頭では今までだってわかってたんですよ、でもね、実際それがどういうことなのかというのは、
一緒にいてよくわりました。
それから、
自分の中に確固たる自信を持っている強さ
もちろんこれまでの仕事だったり、自分のいいところだったり、ワタクシ、萎縮することは、ちっともないですよ。
基本が、ずーずーしいから。へへ。
自信がなくてオドオドってのじゃないんです(わかってるって?)
なんていうのかなぁ、イタリア人の、
「だからなに?」みたいな強さを(時に傲慢さを)見たときは衝撃でした。
あれはいったいどこから来るんでしょうねぇ。
「僕は、あんまり楽天的じゃないから」とか口ではいいつつも、
ちっとも心配性や悲観的な考えの人にある行動を、まったくしていない、とか。
イタリア人とだけじゃないけれど、色んな外国人と一緒に働くと
自分の価値観、考えや判断は、普遍ではない
ということがわかります。
日本で尊重されることが、全くそうではない国もあるし、彼らのやっていることはこちらから見るとありえないことだったり。
洗濯機のように、揉まれたり、振り回されたりして、悔しい思いや、痛い思い、自信喪失、噴火を繰り返しながら、色んな意味で鍛えられていきます。
こうやって違う価値観を学ぶことで、この相手にはこういうやり方で行こうと、アプローチを変えることができます。
個人的に、日本の政治家はもっとこういう状況に揉まれて、このような能力を高めていくべきだと思います。
あ、そうだ。
あとね、イタリア人は、意外に我慢強いと思います。
その我慢強さがいかほど続くかは、別としてね。
事務所の電気が壊れたら、直るまでつけないままで仕事する
とか
暑いけど、クーラーがないのでしかたがない
とか
頼んだけど、ないって言うから来るまで待つ
とか
そして、ある状況下で幸せをみつけるのは上手だと思う。
日本だと、計画書にあるものがないとすると、何とか予定通りにするためにそれを探そうとするけど、
イタリア人はないなら、なしでやれるやり方を探すというか・・・・
完璧を求める日本人と、ある限りの中で作り上げようとするイタリア人。
日本人のように完成度の高いものを作ることで、とてもすばらしい結果を出す産業もありますね。
イタリアのように、あるもので、やっつけでやられて、すぐ壊れたり、最初から微妙だったりするのは困りもの。
臨機応変さのあるイタリア人。
でもその分日本人のように先を見越した行動はしない(できない?)けどね。
まぁ、計画を立てても計画倒れになりやすいから
(相手次第だったり、法律を含めすぐに状況が変わってしまうから)、
そういうことができないというのもあるんでしょうなぁ。
こうやって比較すると自国のほうを下に見るとか、直さなくっちゃって思う日本の方が多いんですけど、
その必要はありません。
違うだけで、優越じゃないですから。
改善しようという気持ちは日本人のいいところではあるんですけど、指摘されたことを全て変える必要はありません。
日本に来た外国人が、日本の悪い所といった言い方で批判したりするのを目にすることがありますが、
あれは、彼らから見て ということであることと、彼らの価値観からするとと
いうことですから、一概にすべてを卑下する必要はありません。
そもそも、彼らが日本のシステムや表現・態度の奥底まで理解できているかといったら、そうでない場合もあります。
TV番組なんかを見ていて、ここで、「あ、あなたそう思うんだ、あら、そう」とか、
イタリア人のように、「だからどうした?」という自信を発揮してくれればいいのにって思います。
今日も長文読んでくれて、どうもありがとう
ほな、またね〜今日は斜めに落ちるよ〜。追いかけてクリックしてね




















この記事に対するコメント